合格体験記(司法書士)
私は2022年の司法書士試験に合格しました。
私が司法書士になることは、運命だったのだと確信しています。
今回は、①私がなぜ司法書士を目指すことになったのか、②司法書士になるまでに何をしたのかをまとめてみたいと思います。
①なぜ司法書士を目指すことになったのか
私は、社会人になってから、ある会社の営業マンになり、5年ほど勤めて辞めました。
辞めた理由はいろいろありました。長くなるので細かい話は割愛しますが、人間関係が好きになれなかったところに、会社が大きな不祥事を起こして今後の企業活動の雲行きが怪しくなったことが、辞める後押しをしてくれました。
転職はスムーズにいきました。前職とはまったく別の業種でしたが、物事に一生懸命に取り組むことが好きな私は、仕事や環境に慣れて時間に余裕ができてからは、仕事に関係する知識を得ようと考えて、FP3級・簿記3級を取りました。
FP3級をとった私は、自分が仕事だけでなくプライベートでも前向きに努力していることを武器に、毎年人事課に提出しなければならない異動希望に、自分が異動したいと思っている部署を書きました。
結果は…、私の異動希望は叶いませんでした。
が、FPで勉強したことに関連が深い部署であったため、そういう意味では努力を認識してもらえたような気がしました。
さて、心機一転、新しい部署でも頑張るぞと思っていた矢先に、悲しいことがありました。その部署は人間関係が良好ではなかったのです。
配置換え直後で仕事がスムーズにできない私は、毎日攻撃的な口調で「指導」をされました。
私は、自分で言うのは変かも知れませんが、仕事にも一生懸命に取り組む方です。
だから、真面目に取り組んでいる人に対して、強い口調で叱責したり、偉そうな態度で接する人の意味がわかりません。
(この職場もそうか…)と思いました。
結局人間とは現金なもので、新人や配置換え直後などで仕事ができない人間には高圧的に接するくせに、その人が仕事ができるようになったら、「ここがわからないんだけど、もし知ってたら教えてよ」などと態度を変えます。
私は性格が高潔で正義感が強いために、人間のそうしたご都合主義的なところに強烈な嫌悪感を抱いてしまうようなのです。
(生きてる限り、こういうのが続くんだろうな)
そう考えると、暗澹たる気持ちになりました。
しかし、憂鬱な気持ちでいても仕方がありません。なんとかしなければならないと考えた私は、様々なメンタルヘルスの本を読んできました。
樺沢紫苑先生の動画や本に影響を受けて、「睡眠・運動・朝散歩」などの生活習慣改善を徹底してきました。
「繊細さんの本(武田友紀先生)」の本に出会い、本に書かれている内容からすれば、自分がHSPと呼ばれる気質を持っており、自分に適した環境を整えることの重要性を知りました。
アドラー心理学の「嫌われる勇気」を読んで、自分と他人の課題を分離してもよいことを学びました。
ゲシュタルトの祈りを何度も唱えました。
彼らがどんな人間だろうと関係ない。「私は私のことをするんだ」という気持ちで仕事に取組みました。
また、FP3級の後はFP2級を目指す予定だったのですが、新型コロナの影響で試験が中止になってしまったことと、配置換え後の職場では不動産に関連する知識が要求されたことから、「宅建」の資格を取りました。
さて、宅建を取得し、次は何の勉強をしようかなと考えているときに、ふと「司法書士」という言葉が頭をよぎりました。
司法書士…
司法書士?
司法書士!
あのときの興奮とワクワクは今でも覚えています。
魂が躍動した感じがしました。
司法書士になって独立?
この幼稚な人間関係から解放?
新しい環境。新しいチャレンジ。
配置換えのたびにナメられる人生ではなく、「先生」と頼りにされる人生。
それと同時に、これまで自分がやってきたことは、すべて司法書士になるための布石だったんじゃないかなと思いました。
・一番最初の企業の営業での経験は、司法書士になって営業をするときに役立つんじゃないか。
・会社が不祥事を起こしたのは、あの会社にいるべきではないという天からのメッセージだったんじゃないか。
・FP3級をとったからこそ、今の部署に配属されたのであり、今の部署に配属されたからこそ、司法書士という仕事が身近になった。
・FP2級が新型コロナの影響で中止になったから、予定を1年早めて宅建を取った。
・宅建を取ったことが脳の報酬系に作用して、超難関だから不可能だと思っていた司法書士ですら、努力すれば狙える資格だと気づいた。
・今の部署に配属されてメンタルヘルスの本を読み漁ったからこそ、HSPという自分の気質に気づき、司法書士(専門家)として生きることが自分に向いていると気づいた。
・なによりこの魂の躍動だ。こんなにワクワクした気持ちになったのは、何年ぶりだろう。
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考え出せば出すほど、自分がこれまでやってきたことは、1つ1つを個別に見れば互いに全く関係ない事柄のように思えるものの、「司法書士として生きる」という1本の糸で考えるならば、これらの事柄が数珠のようにつながり、その全てが意味をもってくるように思えるのでした。
そうして、果ては自分が独身であることも、「勉強に専念するために天が恋愛成就を阻止したのではないか?」、「すべては天の決定事項であって、私の人生はここに収束するのではないか?」などあらぬことを考えるに至ったのでした。
②司法書士になるために何をしたのか
「司法書士になる!」という考えが頭をよぎった日は、家に帰るなり資格の専門学校のホームページにアクセスして、どのようなカリキュラムがあるかを調べました。
どんな講師がどんな講義をしているのか、各社のYoutubeの動画を一通り見て回りました。
そして、最も合格者の多く輩出している専門学校の教材を55万出して即決しました。
段ボール1箱分の教材が家に届いたときは、正直「まじかよ」と思いました。
が、次の日から平日は毎日4時間、休日は8時間勉強をして、1つずつカリキュラムをこなしてきました。
調子のよい日は、平日5時間・休日10時間することもありましたが、たまに訪れる上出来な1日を褒めるのではなく、毎日コンスタントに4時間・8時間をこなすことを意識しました。
毎日デスクに向かい、毎日テキストを読み込むだけの、他人から見ると退屈で味気ない生活が、やっている本人にしてみれば、目標に向かって努力をしているという希望に満ちた時間だったりするものです。
ハーバード大学の研究により、目標を紙に書くことがよい効果をもたらす(プライミング効果)ことを知ってからは、「絶対に司法書士になる」と書いた紙を毎日見て、1日に何回もつぶやきました。
講師が言ったことは、合格体験記を書くことを始めとして、全部行いました。寝る直前に考えたことが一番記憶として定着しやすいため、毎晩法律とともに眠りました。
また、メンタルヘルスの重要性や、運動をすることによる学習効果の高まりを知っている私は、週に2回の10キロのジョギングを継続し、常に高い集中力で学習に取り組み、内容を正確に理解し記憶することを意識しました。
途中(2021年11月)に行政書士の資格を取りましたが、司法書士の試験と科目がかぶっている、民法・商法・憲法については、「完璧にマスターしたうえで行政書士の試験に臨む」ことを意識しました。
冬の間は正直きつかったです。私の仕事は毎年冬が大変で、連日22時までの残業になるので、勉強時間がなかなか確保できませんでした。
しかし、この時も「私は私のことをする」とつぶやき、知識が劣化しないように、1日に30分でもテキストを眺める時間を作りました。
低空飛行でも、飛行していることに意味があるのだと自分に言い聞かせました。
そして、3月末に仕事を辞めてからが本番。ラストスパートでした。
試験当日に6時半に起床することを決めていたため、試験前3か月は、夜23時に就寝して、朝6時半に起床するよう生活リズムから合わせにかかりました。
この期間は、仕事を辞めて収入が途絶えたこともあって、精神状態も極限になりました
試験まであと3か月しかないという不安と、絶対に司法書士になって人生を変えるんだという決意、絶対に今年で合格しなければならないという焦りにも似た気持ち、仕事を辞めて落ちて元職場のメシウマになるわけにはいかないという意地などが、頭の中を何度も去来しました。
複雑で不安定な精神状態。
やっぱりこの時も私を救ってくれたのは、運動でした。走りながら理由のわからない涙があふれたこともありました。傷ついた兵士のようにとぼとぼと歩いたこともありました。
それでも運動をすることによって、ストレスが緩和されるという人体の仕組みのために、平静を保つことができたのでした。そうして、これまでの私の経験すべてが、こうした苦境のときにも活かされており、やはり私は司法書士にならなければならないのだと気持ちを新たにしました。
そうして迎えた試験当日。私は、心地よい緊張感と妙に晴れやかな気持ちになりました。
問題集も4周やった。記述も書けるまで何度もやった。公開模試もいくつも受けた。
やれることは全部やってきたんだ。
自信半分・不安半分にブレンドされた、よいパフォーマンスを出すために絶妙な精神状態が私の中にあるのがわかりました。
そうして...私は2022年の司法書士試験に合格し、晴れて司法書士の仲間入りを果たすことができたのでした。
超難関といわれる試験を合格した自信と、新しい人生を手に入れた喜びを感じながら。