月島雑記帳

考えたことをまとめる場所

HSPが読む「GIVE&TAKE]

 

 

 

ペンシルベニア大学のアダムグラント教授が執筆された「GIVE&TAKE」という本を読みましたので、簡単にアウトプットをしておきたいと思います。

 

(私はHSP的な気質がありますので、HSP的な立場からの感想となっております。

HSPは、「一般的には共感力が高い」、「他者を思いやる」などの特徴がありますが、この本の中にでてくる「ギバー」とかなり近い概念であるように感じられたため、ほとんど同じ言葉のように使用しています。)

 

有名な本なので、内容をご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、この本では人間は大きく3つのタイプに分けることができると書かれています。

 

①「ギバー」と呼ばれる、人に惜しみなく与える人

②「テイカー」と呼ばれる、真っ先に自分の利益を優先させる人

③「マッチャー」と呼ばれる、損得のバランスを考える人

 

 

 ※注意点

 筆者はここでいう「ギバー」や「テイカー」、「マッチャー」などの区分については、主にビジネスの場面を想定しています。

 

 というのは、多くの人は子どもにアドバイスをするような場面ではギバーとなり、就職活動の場面においてはテイカーとなるなど、状況や立場によって要求される振舞い方がある一方で、仕事を中心とした人生における人間関係においては、人がどのような振舞い方をするかに自由な決定権があり、大きな分かれ道となるためです。

(例えば部下が仕事で成果を上げたときに、ギバーであればその部下を褒めて伸ばそうとするでしょうし、テイカーであれば実績を横取りして自分の評価に繋げようとするでしょう)

 

 また、そういった意味から、この本における成功というものは、例えば「芸術家が満足のいく絵を描いた」というものではなく、「多くの報酬を得た」とか「世間に認められた」といった世俗的なものとなっています。

要するに、本書は「心理学の本」ではなく「ビジネス書」だということです。

 

 

 さて、この本の要旨としては、「ギバーであることは他者を幸福にするだけに留まらず、自らをも幸福にし、大きな成功を収める秘訣である」ということでありましょう。

 

 この本の中には、ギバー的な生き方により自己を含む多数の人々の幸福を実現せしめた例や、テイカー的な手法を用いて一時的に成功を収めたものの、その後凋落してしまった物語が多数収録されており、一見するとギバー的な生き方を礼賛するもののようにも思われます。

 

 しかし、HSPたる私が注目したのは、そこではありませんでした。

 筆者は、ギバー的な生き方には落とし穴があり、ギバーは大成功を収めることがあるものの、成功から最も遠い位置にいるのもギバーだと指摘しています。ギバーは自分の成功を犠牲にして、相手の利益を優先するために、割を食ってしまうためです。

 

 たとえばエンジニアリングの分野では、ギバーは他の人の仕事を手伝っているせいで、自分の仕事を終わらせることができず、会社全体でも仕事の評価は最低点をつけられることが多かったそうです。

 また、販売員においては、客にとってなにがベストかを常に気にかけているギバーは、強引に売りつけようとするテイカーやマッチャーと比して、年間売り上げが半分以下だったといいます。

 

 こういったギバーは私たちの身近にも多くいるように感じます。

 その人の良さから仕事を押し付けられるギバー、他者に遠慮しすぎるあまりうだつの上がらないギバー。(これを、便宜的に「搾取ギバー(社会から搾取されるギバー)」と呼びたいと思います。)

 

 さて、この話はHSP界にも当てはまるのではないか、というのが私の意見です。

 HSPは、その感受性の高さから強烈な喜びを感じ取り、善の行いにより社会的な評価を得ることができますが、一方で、その感受性の高さや善を愛する心から、世間の理不尽の餌食となったり、社会の腐敗に打ちひしがれることがあります。

 

 私はある仮説を立てました。

 それは「HSPもギバーと同様に社会的な成功を収めることも可能であり、一方で、搾取ギバーのように使い捨てられてしまうような、いわば二極化の構造となっているのではないか」というものです。

 

 では搾取ギバー(搾取HSP)にならないためにはどうしたらよいのか。

 「GIVE&TAKE」の308ページに答えがありました。
  〈――――つまり、テイカーとつき合うときには、マッチャーになればいいのだ。ただし、最初はギバーでいたほうがよいだろう。………相手が明らかにテイカーとして行動したら、ギバー、マッチャー、テイカーの三タイプを使い分け、ぴったりの戦略をとるのが得策だろう。—―――〉

 

 これは日本の初等教育における「相手によって態度を変えてはいけません」や「みんなと仲良くしないといけません」を、真向から否定するものでありますが、世の中のありふれた不幸を見たときには、アダム教授の言い分が正しいように思います。

 要するに、「人に親切にすることは大切だけど、嫌な人に親切にすると搾取されてしまうのだから、嫌な人が近寄ってきたらそれなりの対応をしてもいいんですよ」ということです。

 

 Twitterを見たときには、このことに踏み切れないばかりに、搾取されているようなツイートが散見されて胸がいたみます。

 ・パワハラ上司がいるのだけど、上司は上司でつらい気持ちもあるだろうし、なにか反論して目を付けられるのも避けたいし、私が我慢していればよいか。

 ・からかってくる友達がいるんだけれど、私が我慢することで全体の和が保たれているのだし、このままでいようかな。

 

 こういうことをしている間に、いつの間にか搾取HSPとなってしまい、HSPの気高い感受性は失われ、低い幸福度の中で過ごさなければならないとは、なんたる不幸でしょう。

 

 最後に、この本では、最も幸福に近いのもまたギバーであると説きます(以下、幸福ギバーと呼ぶ)

 幸福ギバーは、他人の幸福のために働くことから、他者から強い信頼を得ることができ、人間関係にも恵まれ、自分が与えた分だけ幸福のリターンがあります。

 他人の成功を掠め取るようなテイカーとは異なり、幸福ギバーは人生という長距離走の舞台では、長期的な人間関係を築き、大きな成功を収めることができるのです。

 

 HSPも幸福ギバーと同様に、他人の幸福のために働き、他者から強い信頼を得ることができると思います。HSPの皆様に幸あらんことを願っています。

合格体験記(司法書士)

私は2022年の司法書士試験に合格しました。

 

私が司法書士になることは、運命だったのだと確信しています。

今回は、①私がなぜ司法書士を目指すことになったのか、②司法書士になるまでに何をしたのかをまとめてみたいと思います。

 

①なぜ司法書士を目指すことになったのか

私は、社会人になってから、ある会社の営業マンになり、5年ほど勤めて辞めました。

辞めた理由はいろいろありました。長くなるので細かい話は割愛しますが、人間関係が好きになれなかったところに、会社が大きな不祥事を起こして今後の企業活動の雲行きが怪しくなったことが、辞める後押しをしてくれました。

 

転職はスムーズにいきました。前職とはまったく別の業種でしたが、物事に一生懸命に取り組むことが好きな私は、仕事や環境に慣れて時間に余裕ができてからは、仕事に関係する知識を得ようと考えて、FP3級・簿記3級を取りました。

 

FP3級をとった私は、自分が仕事だけでなくプライベートでも前向きに努力していることを武器に、毎年人事課に提出しなければならない異動希望に、自分が異動したいと思っている部署を書きました。

 

結果は…、私の異動希望は叶いませんでした。

が、FPで勉強したことに関連が深い部署であったため、そういう意味では努力を認識してもらえたような気がしました。

 

さて、心機一転、新しい部署でも頑張るぞと思っていた矢先に、悲しいことがありました。その部署は人間関係が良好ではなかったのです。

 

配置換え直後で仕事がスムーズにできない私は、毎日攻撃的な口調で「指導」をされました。

 

私は、自分で言うのは変かも知れませんが、仕事にも一生懸命に取り組む方です。

だから、真面目に取り組んでいる人に対して、強い口調で叱責したり、偉そうな態度で接する人の意味がわかりません。

 

(この職場もそうか…)と思いました。

結局人間とは現金なもので、新人や配置換え直後などで仕事ができない人間には高圧的に接するくせに、その人が仕事ができるようになったら、「ここがわからないんだけど、もし知ってたら教えてよ」などと態度を変えます。

私は性格が高潔で正義感が強いために、人間のそうしたご都合主義的なところに強烈な嫌悪感を抱いてしまうようなのです。

 

(生きてる限り、こういうのが続くんだろうな)

そう考えると、暗澹たる気持ちになりました。

しかし、憂鬱な気持ちでいても仕方がありません。なんとかしなければならないと考えた私は、様々なメンタルヘルスの本を読んできました。

 

樺沢紫苑先生の動画や本に影響を受けて、「睡眠・運動・朝散歩」などの生活習慣改善を徹底してきました。

 

「繊細さんの本(武田友紀先生)」の本に出会い、本に書かれている内容からすれば、自分がHSPと呼ばれる気質を持っており、自分に適した環境を整えることの重要性を知りました。

 

アドラー心理学の「嫌われる勇気」を読んで、自分と他人の課題を分離してもよいことを学びました。

 

ゲシュタルトの祈りを何度も唱えました。

彼らがどんな人間だろうと関係ない。「私は私のことをするんだ」という気持ちで仕事に取組みました。

また、FP3級の後はFP2級を目指す予定だったのですが、新型コロナの影響で試験が中止になってしまったことと、配置換え後の職場では不動産に関連する知識が要求されたことから、「宅建」の資格を取りました。

 

さて、宅建を取得し、次は何の勉強をしようかなと考えているときに、ふと「司法書士」という言葉が頭をよぎりました。

 

司法書士

司法書士

司法書士

 

あのときの興奮とワクワクは今でも覚えています。

魂が躍動した感じがしました。

 

司法書士になって独立?

この幼稚な人間関係から解放?

新しい環境。新しいチャレンジ。

配置換えのたびにナメられる人生ではなく、「先生」と頼りにされる人生。

 

それと同時に、これまで自分がやってきたことは、すべて司法書士になるための布石だったんじゃないかなと思いました。

・一番最初の企業の営業での経験は、司法書士になって営業をするときに役立つんじゃないか。

・会社が不祥事を起こしたのは、あの会社にいるべきではないという天からのメッセージだったんじゃないか。

・FP3級をとったからこそ、今の部署に配属されたのであり、今の部署に配属されたからこそ、司法書士という仕事が身近になった。

・FP2級が新型コロナの影響で中止になったから、予定を1年早めて宅建を取った。

宅建を取ったことが脳の報酬系に作用して、超難関だから不可能だと思っていた司法書士ですら、努力すれば狙える資格だと気づいた。

・今の部署に配属されてメンタルヘルスの本を読み漁ったからこそ、HSPという自分の気質に気づき、司法書士(専門家)として生きることが自分に向いていると気づいた。

・なによりこの魂の躍動だ。こんなにワクワクした気持ちになったのは、何年ぶりだろう。

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考え出せば出すほど、自分がこれまでやってきたことは、1つ1つを個別に見れば互いに全く関係ない事柄のように思えるものの、「司法書士として生きる」という1本の糸で考えるならば、これらの事柄が数珠のようにつながり、その全てが意味をもってくるように思えるのでした。

 

そうして、果ては自分が独身であることも、「勉強に専念するために天が恋愛成就を阻止したのではないか?」、「すべては天の決定事項であって、私の人生はここに収束するのではないか?」などあらぬことを考えるに至ったのでした。

 

 

 ②司法書士になるために何をしたのか

司法書士になる!」という考えが頭をよぎった日は、家に帰るなり資格の専門学校のホームページにアクセスして、どのようなカリキュラムがあるかを調べました。

どんな講師がどんな講義をしているのか、各社のYoutubeの動画を一通り見て回りました。

そして、最も合格者の多く輩出している専門学校の教材を55万出して即決しました。

 

段ボール1箱分の教材が家に届いたときは、正直「まじかよ」と思いました。

が、次の日から平日は毎日4時間、休日は8時間勉強をして、1つずつカリキュラムをこなしてきました。

 

調子のよい日は、平日5時間・休日10時間することもありましたが、たまに訪れる上出来な1日を褒めるのではなく、毎日コンスタントに4時間・8時間をこなすことを意識しました。

 

毎日デスクに向かい、毎日テキストを読み込むだけの、他人から見ると退屈で味気ない生活が、やっている本人にしてみれば、目標に向かって努力をしているという希望に満ちた時間だったりするものです。

 

ハーバード大学の研究により、目標を紙に書くことがよい効果をもたらす(プライミング効果)ことを知ってからは、「絶対に司法書士になる」と書いた紙を毎日見て、1日に何回もつぶやきました。

 

 

講師が言ったことは、合格体験記を書くことを始めとして、全部行いました。寝る直前に考えたことが一番記憶として定着しやすいため、毎晩法律とともに眠りました。

 

また、メンタルヘルスの重要性や、運動をすることによる学習効果の高まりを知っている私は、週に2回の10キロのジョギングを継続し、常に高い集中力で学習に取り組み、内容を正確に理解し記憶することを意識しました。

 

途中(2021年11月)に行政書士の資格を取りましたが、司法書士の試験と科目がかぶっている、民法・商法・憲法については、「完璧にマスターしたうえで行政書士の試験に臨む」ことを意識しました。

 

冬の間は正直きつかったです。私の仕事は毎年冬が大変で、連日22時までの残業になるので、勉強時間がなかなか確保できませんでした。

しかし、この時も「私は私のことをする」とつぶやき、知識が劣化しないように、1日に30分でもテキストを眺める時間を作りました。

低空飛行でも、飛行していることに意味があるのだと自分に言い聞かせました。

 

そして、3月末に仕事を辞めてからが本番。ラストスパートでした。

試験当日に6時半に起床することを決めていたため、試験前3か月は、夜23時に就寝して、朝6時半に起床するよう生活リズムから合わせにかかりました。

 

この期間は、仕事を辞めて収入が途絶えたこともあって、精神状態も極限になりました

試験まであと3か月しかないという不安と、絶対に司法書士になって人生を変えるんだという決意、絶対に今年で合格しなければならないという焦りにも似た気持ち、仕事を辞めて落ちて元職場のメシウマになるわけにはいかないという意地などが、頭の中を何度も去来しました。

 

複雑で不安定な精神状態。

やっぱりこの時も私を救ってくれたのは、運動でした。走りながら理由のわからない涙があふれたこともありました。傷ついた兵士のようにとぼとぼと歩いたこともありました。

それでも運動をすることによって、ストレスが緩和されるという人体の仕組みのために、平静を保つことができたのでした。そうして、これまでの私の経験すべてが、こうした苦境のときにも活かされており、やはり私は司法書士にならなければならないのだと気持ちを新たにしました。

 

 

そうして迎えた試験当日。私は、心地よい緊張感と妙に晴れやかな気持ちになりました。

問題集も4周やった。記述も書けるまで何度もやった。公開模試もいくつも受けた。

やれることは全部やってきたんだ。

自信半分・不安半分にブレンドされた、よいパフォーマンスを出すために絶妙な精神状態が私の中にあるのがわかりました。

 

そうして...私は2022年の司法書士試験に合格し、晴れて司法書士の仲間入りを果たすことができたのでした。

超難関といわれる試験を合格した自信と、新しい人生を手に入れた喜びを感じながら。

精神科医:樺沢紫苑先生の「ストレスフリー超大全」の講演・書籍の感想

イントロダクション

私はこれまでに何度か、脳天に雷が落ちたような経験をしたことがある。

 

経済評論家である中野剛志先生の日本刀の如き言論を見たとき。

西郷南洲翁遺訓に遺された西郷隆盛の偉大な教えを学んだとき。

ヴィリエ・ド・リラダン伯爵の「未来のイブ」を読んだとき。

アドラー心理学における「目的論」などの思考法を知ったとき。

 

私の心臓を激しく鼓動させ、脳漿を一瞬で滾らせ、または血の気の引くような戦慄をあたえたこれらの経験は、臓腑の奥底まで入りこんだかと思うと、あたかも徐放性の薬剤のように私の思想に影響を与え、世界を変え、人格を形成してきた。

 

 

ところで、私にとって樺沢紫苑先生の言葉は、上記のような、衝撃とか、天啓とか、奇跡とか、変革などといった類のものではなかった。

 

日常の、平素の、普段の、毎日の、生活を整えること。

人間が心身ともに健やかに生きるために取り組むべきこと。

愛情をもって草花に手入れをするように自分を大切にすること。

 

つまり、樺沢先生は「実生活」についての話をしているのである。

 

人間は鷹のように飛ぶこともできなければ、鱶のように泳ぐこともできない。

 

人間らしく、歩き続けること。

日が昇るころに起床し、月が輝くころに就寝すること。

日常の生活を、地味に、愚直に、しかし前向きに営むこと。

 

要するに、樺沢先生の言葉は、神の言葉ではなく、父の言葉なのであった。

 

 

さて、これから樺沢紫苑先生の「ストレスフリー超大全」の講演・書籍の感想に入ろうと思ったのだが、ひとつ大変困ったことに気が付いた。

 

というのは、私は今年に入ってから樺沢先生のYoutubeを見始め、生活習慣を大きく見直したことにより、今現在、私のストレスはほとんど全くといっていいほど無くなってしまっているということである。

(樺沢先生は、ストレスフリー超大全の出版記念講演会のなかで、「ストレスを0~10のどれかで手を挙げて下さい」と挙手をもとめられていたが、私「0かな?あっても1くらいだろうな」など思いながら動画を視聴していたものである。)

 

つまり、樺沢先生はこの本を「ストレスで思い悩んでいる人」を対象に書かれたはずだが、すでにほとんどストレスがフリーな状態の人間が読んでしまったということになる。

 

そのために、この感想文の本質としては、「今現在ストレスで悩んでいる人間がストレスフリー超大全読んだときの感想」ではなく、「すでに樺沢先生の教えを実行し、ストレスをフリーにした人間がストレスフリー超大全を読んだときの感想」になることをあらかじめお断りしておかねばなるまい。

 

それでは、これから「ストレスフリー超大全」の具体的な感想に入っていこう

 

 

 

 ストレスフリー超大全の感想

まず初めに、この本の構成を紹介したい。

 

序章 すべてのベースとなる「解決法」

1章 他人ではなく「自分」を変える

2章 「仲間」と「家族」が活力となる。

3章 「天職」を求め、「やらされ仕事」から抜け出す

4章 「疲れない体」を手に入れる

5章 心を整え、「新しい自分」にアップデートする

終章 精神科医がたどり着いた「とっておきの考え方」

 

 

さて、この本の要諦はどこかというと、間違いなく「序章」である。

たかが「序章」とあなどるなかれ。私の個人的な感想を言ってしまうなら、重要度でいえば8割以上がこの「序章」に詰まっている。

 

なぜなら、2章以降については、十人十色の悩みごとに対するテクニカルな解決法が提示されているのに対し、序章にはそれらの悩みの本体に関わる「不安感を取り除く方法」や「セロトニンを活性化させる方法」などが記載されているためである。

 

樺沢先生は、ストレスを①自己成長につながる良いストレスと②次の日に持ち越してしまう悪いストレスに分け、②の悪いストレスを溜め込まないためにレジリエンス(回復力)を高めていくことが重要であると説いている。

このレジリエンスを高めるため最も有効な手段が、「序章」部分に記されているのである。

 

従って、読者は2章以降のテクニカルな技術だけを学んで良しとするのではなく、この序章の教えを実際に実行し、自らのレジリエンスを高める必要がある。

そうでなければ、私たちは日常生活のなかで何かトラブルが起こるたびにストレスを溜め込んでしまい、決壊寸前になってテクニカルな技術で一時的に応急処置をするという、後手の対応に追われることになるだろう。

 

繰り返しになるが、まずは序章を忠実に実行してレジリエンスを高め、その上で2章以降を活用することが本書の正しい使い方である。

 

 このことを確認したうえで、この記事ではレジリエンスを高めるために効果的な「序章」の部分に焦点を当て、以下に愚見を述べさせていただこうと思う。

 

 

HSPにおすすめの3つの方法

では、それほど重要だという「序章」には一体何が書かれているのか。

 

私はHSP的な気質があることを公言してブログを書いているため、HSP的な気質をもった読者が多いことと思われる。

そのため、この記事では「序章」のなかで、HSP気質の私自身に特に効果があったものについて、3つに絞って紹介したいと思う。

 

私がHSPとして特にお勧めしたいものは、以下の3つである。

①朝散歩をすること

②運動をすること

③自分の感情を文章化すること

順々に説明していこう。

 

 

①朝散歩をすることについて

巷で幸せホルモンと呼ばれている「セロトニン」という神経伝達物質がある。

 

樺沢先生はセロトニンについて学ぶことができる本として、有田秀穂先生の「脳からストレスを消す技術」を紹介されている。

セロトニン研究の第一人者である有田秀穂先生が書かれたこの本には、セロトニン神経はそれ自体が何か仕事をするわけではなく、神経伝達物質の指揮者のような役割を担っていると書かれている。

つまり、セロトニン神経がオーケストラの指揮者のような役割をし、ドーパミン神経やノルアドレナリン神経の過興奮を抑え、脳全体のバランスを整えることで、「平常心をもたらす」のである。(有田秀穂先生著、「脳からストレスを消す技術」P98~99より)

 

ドーパミンの過興奮は「依存症」、ノルアドレナリンの過興奮は「不安障害」など原因となり得る。これらの過興奮を抑えることで、平常心をもたらすことができるということは、誠に理にかなっている。

 

実際に、「心の風邪」と呼ばれるうつ病の患者は、セロトニン神経の機能低下がみられることがわかっている。

ストレスを受けることによって、ストレス中枢である視床下部・室傍核という脳の部位が刺激され、セロトニンの分泌そのものが阻害され、セロトニン神経の機能が低下してしまうのだ。

うつ病の治療によく用いられるものに、選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRI)というものがあるが、これにはセロトニンの働きを増強させる作用がある。

 

ところで、朝散歩をすることによって、セロトニン神経を活性化できることがわかっている。

 

樺沢先生によると、セロトニンは「朝日を浴びる」「リズム運動」「咀嚼」によって活性化するが、朝の散歩は「朝日を浴びる」と「リズム運動」の2つを兼ねているため、セロトニンが十分に活性化するということである。

 

わたしが思うに、HSP気質の人には「繊細であるがゆえのストレス」というものがあり、非HSPの人と比べてストレスを感じ取りやすい傾向にあると思う。

 

結果、人に会うことや外出することが億劫になり、家にいる時間が長くなってしまう。そして、朝日を浴びる機会が減り、セロトニン神経が弱ってしまうという負の連鎖があるのではないだろうか。

 

しかし、朝日を浴びながら散歩をするだけであれば、人と会う必要など全くない。

私たちは誰に気兼ねすることなく、思う存分朝散歩をすることができるのだ。

一人気ままに並木道の木漏れ日を浴びながら歩いたり、海岸沿を潮風を浴びながら歩くのは清々しい気持ちになるし、夏の空の青さから元気をもらうのもいいだろう。

 

私たちは、小鳥たちが日の出を待ち望むように、ただただ朝日を受け入れればよいのである。

 

 

②運動をすること

樺沢先生はご自身も週5日ほど運動を実践されている(有酸素運動だけでなく、加圧トレーニングや古武術など様々なものを取り入れていらっしゃる)ほどの運動愛好家だが、それは運動の「計り知れない効果」をよくご存じだからである。

 

運動のすさまじい効果について書かれた本として、樺沢先生は「脳を鍛えるには運動しかない!(ジョンJ.レイティ、エリック・ヘイガーマン著)」を紹介されている。

 

私はこの本も読んでみたのだが、前述したセロトニンも何度か登場する。

セロトニンは幸せホルモンと呼ばれるだけあって、心理学や精神科医のなかでもちょっとした人気者のようで、いろんな本にちょいちょい出てくる。レイティ博士はこの本では、「われらが友、セロトニン」などと紹介していた。レイティ博士によると、セロトニンは前述した指揮者のような役割を果たすことから、「脳の警察官」と表現されることもあるらしい。)

 

運動について書かれた本の中に、セロトニンが出てくるということは、もうおわかりだろう。運動がストレスや不安、うつ病といったものに、非常に有効であるということだ。

 

具体的には、運動をすることによって、血中遊離トリプトファンが増加し、BBB(血液脳関門)を通り抜けてセロトニンの構成材料になることや、BDNFと呼ばれる栄養因子が分泌されてセロトニンを増やすことなどがわかってきている。また、セロトニンの大敵であるストレスホルモンを低下させることもわかっている。

 

うつ病においては、運動は薬物療法と同程度かそれ以上の治療効果があることが、幾つかの研究で明らかになっており、レイティ博士は「運動がカプセルに入っていたら、その脳への効果はトップ記事になるだろうに」とウィットに富んだ表現をしている。

 

「脳を鍛えるには運動しかない!」は350ページほどあって、上述した効果以外にも、「頭をよくする」や「モチベーションが上がる」など、運動の計り知れない効果が数々のエビデンスとともにこれでもかというほど記されており、文章自体は読みにくいものではものの、一読するにはそれなりに時間がかかる。

 

樺沢先生の「ストレスフリー超大全」では、「脳を鍛えるには運動しかない!」の内容を、「運動の効果」とざっくりと一覧表にまとめられているため、結論だけ知りたい人にはこれだけでも貴重な資料になるだろう。(もっとも、「脳を鍛えるには運動しかない!」の究極的な結論は「運動すれば万事解決!」ということに尽きるのだが。)

 

 HSP的な視点で運動を考えるならば、誰かと一緒に走ったりすると「自分が遅いからペースを落としてしまわせたかな」などと気を遣う人もいるかも知れないし、気が向いたときにでも、1人の時間を大切にしながら、自然の中を無理のないペースで走るのもよいだろう。

 

また、①の朝散歩をすることと関連するが、朝日を浴びながらジョギングするのも気持ちが良いし、走り慣れていない人が突然ジョギングなんかをすると故障の原因にもなり得るため、まずは朝散歩を習慣にすることから始めるのも、負担がなくてよいかも知れない。重要なことは、無理をしないことだ。

 

 

 ③自分の感情を文章化すること

自分の感情についてあるがままを認識し、紙に書きだすことで頭の中を整理し、悩みを明確化すること。

 

これはHSPの方に私が本当におすすめする方法である。

 

私は日記という習慣をもう何年も続けているから、この絶大な効果については太鼓判を押したいと思う。

なぜ日記を書くことが良いのかについて、脳科学的な機序がどうなっているのかを私は知らないが、心理学でいうところの「ツァイガルニック効果」というもののおかげかも知れないと考えている。

 

この「ツァイガルニック効果」というのは、一言でいうと「一件落着した出来事は忘れやすい。継続案件は忘れにくい」というものだ。

ノートに書いてしまうことで脳が整理され、外部の状況はなにも変わっていないとしても、自分の内面で一件落着したように感じ、すっきりしてそれ以降あまり考えなくなるためではないだろうか。

 

また、今年に入ってからは、樺沢先生が提唱する「3行いいこと日記」を実践しているが、これもポジティブな効果を挙げているように思う。

 

「3行いいこと日記」とは、その日あったポジティブなことを寝る直前に3つ思い出すことで、脳が勝手にポジティブなことを探す構造に変わっていくというものだ。

 

私は「3行いいこと日記」を続けることで、次第に「良いこと」を探す習慣が身に付いた。始めたばかりの頃は「良いこと」を見つけるのに苦労したが、近頃は「良いこと」を探すことが苦にならなくなった。

 

脳は「良いこと」を探しながら「不愉快なこと」を考えることはできない。

次第に憂鬱なことを考える時間も減っていった。

 

私がHSPに特におすすめしたいのは、Twitterで「良いこと」を呟いてみることだ。

Twitterに、その瞬間に感じた「良いこと」を書き込む。ツイートは蓄積されるため、今日はどんな「良いこと」があったかなとあとで見返すことができる。

何か落ち込むようなことがあったときにツイートを振り返れば、こんなにもたくさんの「良いこと」があるという事実に気付き、人生に希望を持つことが出来る。

 

自分が呟いた「良いこと」に、自分に近いひとたちが「いいね」と言ってくれる。共感の喜びが生まれる。

私などは、今度はどんな「良いこと」をTwitterで呟こうかなと考え、Twitterに呟くために良いことを探し始めているほどである。

 繊細な感受性で何気ない喜びを感じ取り、他者と喜びを共感すること。

HSPにとってTwitterはものすごい可能性を秘めたツールになり得るのでないかと感じているところである。(興味を持たれた方、是非フォローしてください!:@CE3dmI6AY2oG8N6

 

 

最後に

さて、これまで「ストレスフリー超大全」の書籍について書いてきたが、最後に「ストレスフリー超大全の出版記念講演会」を動画視聴した感想を述べたいと思う。

 

樺沢先生はかつて精神科の臨床医として勤務されていたときに、自殺未遂の患者を救うだけでなく、自殺に至る前段階での阻止ができないかとお考えになられ、自殺を「予防する」ための活動に取り組むに至ったとのことだった。

 

樺沢先生はこれまで書籍だけでなくTwitterFacebookYouTubeにメルマガと実に様々なメディアで情報発信をされているが、今回の「ストレスフリー超大全」の執筆にあたっては、新しい試みを意識して取り組まれたそうである。

 

それは、近年では「エビデンス・ベースド・メディスン」と呼ばれる<科学的根拠に基づく医療>が中心的な考え方であるが、ストレスフリー超大全においては、「ナラティブ・ベースド・メディスン」と呼ばれる<物語に基づく医療>に基づいて執筆をした項目を多く取り入れたとのこと。

 

 この本の中には、先生がこれまで様々な媒体で情報発信されてきた中で、読者から「効果があった」という声の多かったものを積極的に採用したとのことである。

 

今回の新型コロナの対応もそうだが、人間は完全な情報、科学的根拠に基づいて意思決定できることばかりではない。むしろ、限られた情報、十分な根拠がない中で、与えられた情報と知恵を総動員して判断を迫られることも少なくないだろう。

 

脳科学においても状況は同じで、科学というもの自体が「現在のところそうだと考えられている」といったものに過ぎない。絶対的な真理、未来永劫変わらぬ不変の証明といったものは非常に困難が伴うのだ。

 

樺沢先生は今この世界を生きている多くの人たちが「効果があった」と話した声を積極的に採用された。

その声は、データとしてみたときには「N数」として片付けられてしまうものかも知れないが、一人ひとりの人間を見ていくならば、凄まじいうつ病との闘病記であったり、不安を抱えながらも歩き続ける人間の足掻き、言い換えるならば「生の探求」に他ならない。

 

今回の記事にあたっては、HSP気質があり毎日を憂鬱な気持ちで過ごしていた私が、平穏な毎日を送るために取り組んできたものの中で、特に「大きな効果があった」と実感したものを、私なりの「ナラティブ」としてHSP向けのメッセージとして紹介させてもらったものである。少しでもお役に立てれば幸甚である。

 

なお、今回の書籍紹介にあたっては、序章に絞って紹介させてもらったものの、2章以降の膨大な項目についてはほとんど触れてこなかった。

ここまでこの記事を読まれて興味を持たれた方は、実際に書籍を手に取って読んでみるのもいいだろう。私の記事を入口に樺沢先生の事を知り、憂鬱な気持ちが少しでも改善してもらえたならば、こんなに幸せなことはない。

 

私がお勧めしたいのは、まだ樺沢先生のYoutubeを見たことがない人があれば、Youtubeと併用することである。Youtubeを視聴することによって、書籍だけではわからない樺沢先生の人となりを、もっと身近に感じることができるだろう。

 

最後に、樺沢先生はYoutubeに動画を1500本以上投稿されているが、その中ではたまに紫色の髪の毛をした樺沢先生によく似た方が登場されることがある。

私はその方の動画が好きで、よく見直しては元気をもらっている。下にリンクを張っておくため、興味のある読者はぜひ視聴してもらいたい。

https://www.youtube.com/watch?v=M9nMyB2sywI

 

 

ご清覧ありがとうございました。

 

 

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黒縁メガネの意外な使い方

突然だけど、私は「悪口」というものを警戒している。

 

警戒しているというのは、自分が悪口を言わないようにしていることもそうだけど、悪口が多い人には近づかないようにしているということだ。

 

もちろん、誰かの悪口に話を合わせたり、酷いことを言われたときに「今のはあんまりだったよね」と話したくなる気持ちはわかる。それは人情というものだ。

 

私が特に警戒するのは、そんなレベルの話ではない。なにかあるたびに批判的な意見をいう人。怒りに支配されているような人。要は、いつもいつも悪口を言っているような人達だ。

 

 

悪口で盛り上がると、その瞬間は「良い気持ち」になる。

 

みんなで盛り上がることによって、ドーパミンが放出されるためだ。

 

もちろん、ドーパミンのすべてが悪いわけではない。

 

ドーパミンは「報酬系」の脳内物質と言われており、モチベーションの源でもある。

 

1回戦を突破できたことを喜び、もっと勝てるように練習に励む。

ある資格を取得できたことを喜び、次はもっと上位の資格を目指す。

 

これらはドーパミンの正しい使い方である。

 

問題はドーパミンには依存性があり、依存症の原因にもなり得るということだ。

 

パチンコで大当たりしたときの興奮を追い求め、家庭や仕事をないがしろにし、借金地獄に陥ってしまう。

 

パチンコをしない人からすると、なんとも計画性のない話だと思ってしまうが、実は悪口を慢性的に言っている人も、同じ過ちに陥っている。

 

 

悪口で盛り上がることで、誰かを打ち倒したような、勝利したような気持ちになる。

 

結果、ドーパミンが放出され、その瞬間は快楽を感じることができる。

 

しかし、やがてドーパミンの効果は切れる。すると、脳は新しい「報酬」、つまり次の悪口を求めるようになる。そうして、「悪口依存症」になっていく。

 

女子会の悪口大会を考えてみるといい。彼女らは1時間悪口を言っても、2時間悪口を言っても決して満たされることはない。1日で満たされるわけもなく、集まるたびに誰かの悪口を言うことになる。

 

悪口は、あらゆるカフェ、あらゆる職場、あらゆる居酒屋で繰り広げられる、滾々として尽きることのない憎しみの泉なのである。

 

 

重度の悪口依存症になると、もはや悪口を言うために、嫌いな人を創りだしてしまう。

 

喜びを胸に怒ることができないように、怒りを抱きながら笑うことはできない。

 

怒りに支配された人生。喜びの乏しい人生。ドーパミンの奴隷。

 

悲劇にもならない、悲しい物語だ。

 

 

さて、ここからが本題。われらがヒーロー、黒縁メガネのお出ましである。

 

 

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実は私の職場にも、悪口の好きな人がいる。

 

実は私だ…。というのはちょっとしたジョークだ。

 

私のとなりの席に、悪口の好きな女性がいて、よくむすっとした顔をしている。

 

私は、人の怒っている顔が苦手だ。下がった口角、吊り上がった眉。攻撃的な目。あるいは人の事を馬鹿にして笑う口元。

 

 そういうものが視界に入ると、私は落ち着かない気持ちになったり、集中力をそがれたりすることがある。

 

そわそわした気持ちになったときは、呼吸に集中してマインドフルネスを実行するが、仕事中ずっと呼吸に集中しているわけにもいかない。

 

 

状況を劇的に改善してくれたのが、黒縁メガネだ。

 

黒縁メガネのよいところは、なんといってもその縁が太さだ。

 

メガネの側方の、耳にかけるパーツの部分を「テンプル」というらしい。黒縁メガネに変えて、テンプルが太くなったことによって、ちょうどとなりの女性の顔が隠れた。視界から怒った顔が消えたことで、私は集中力を取り戻した。

 

メガネのフレームを太くする。たったこれだけの工夫。

 

たったこれだけの工夫で、私は少し元気になれた。

 

もし同じような状況の人がいたら、縁の太いフレームで、お値打ちのものを探して試してみるのもいいかも知れない。

 

え、「もし嫌なやつが隣じゃなくって目の前にいたらどうするんだよ」って?

 

それはまた別の機会に考えよう。

 

私は、読者がずぼらな私のことを悪く言わないでいてくれることを信じている。

 

そうして、私は今日という一日に感謝し、命に感謝し、また明日が素敵な日であることを疑わずに眠ろうと思う。

 

また明日からも頑張れる。今日もよく頑張った。

 

ご清覧ありがとうございました。

 

 

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HSPが「反応しない練習(草薙 龍瞬著)」に反応してみる。

 

 

 

「生きることには<苦しみ>が伴う。

 苦しみには<原因>がある。

 苦しみは<取り除く>ことができる。

 苦しみを取り除く<方法>がある」

 

本の袖に書かれた4行の詩から「反応しない練習」は始まります。

この4行の詩は仏教の世界で四聖諦(ししょうたい、四つの真理の意)と呼ばれているそうです。

取り除くことができる苦しみに私たちがとらわれ続けているのだとしたら、私たちは苦しみを取り除く術を知らないか、またはそれを実践できていないことになりましょう。

 

では、そもそも<苦しみ>とはなんなのでしょうか。

 

仏教の世界では、「苦しみの原因は<執着>にある」とよく語られるそうですが、草薙先生は人間の苦しみは執着よりももっと根源的なところ、すなわち<心の反応>によって起こるのだと説きます。

 ・イヤなことがあって、つい腹を立てる。

 ・思い通りにいかない現実に焦ってしまう。

 ・他人の目を感じて「何か悪いことをしてしまったのかも」と不安になってしまう。

 

これらはすべて、ある出来事によって生じた<心の反応>であり、心の反応の結果、以下のような苦しみが生まれてしまうとのこと。

 ・ついカッとなって人間関係を壊してしまう。

 ・大事な場面で緊張して、能力を出せずに失敗してしまう。

 ・忌まわしい過去をつい思い出して、苦い後悔に沈んでしまう。

 ・つい考えすぎて、「自分はダメな人間だ」と落ち込んでしまう。

 

 

私たちを幸福にも豊かにもできるはずの心の反応が、一方では人生のトラブルや悩みを巻き起こしている。この事実に注目して書かれたのが本書「反応しない練習」なのです。

著者はいいます。『反応こそが悩みの正体です。―となると、私たちが日々心掛けなければいけないことは、一つです。「ムダな反応をしない」ことです。』

 

 

 「言っていることはわかるけど、言うは易し行うは難しだよ。それが出来れば最初から苦労してないし…。それに、苦しいことがあったから、苦しいと感じた。それが正しい理解じゃないかな。」

こう思われた方、もしよければもう少しだけお付き合いください。

 

私は自分にHSP的な気質があることを公言してブログを書いていますので、恐らく私のブログにいらっしゃる方は、繊細で感受性が強い方が多いと思います。

「繊細な私は、どうしても反応してしまう。普通の人より不利な状況にある。反応しない練習なんかやっても、繊細な私には難しい」と思う方もいらっしゃるかも知れません。

(私自身、某サイトのHSPの診断テストでは強度のHSPとの診断でした。繊細な感受性だからこそ、いろいろなことに気付き、考えてしまい、その結果心が余計に反応してしまい、疲弊してしまう気持ちもよくわかります)

 

しかし、草薙先生の方法を幾つか実践し始めてから、私の幸福度(心の平穏な時間)は間違いなく増加しています。強度のHSPと診断がでている私にも効果があるということなのです。

 

草薙先生の<反応しない練習>を実践したからと言って、突然私たちのHSP的な気質が雲散霧消して、毎週コンサート会場(人ごみの中)に行きたくなったり、突然暴力的な映像が好きになったり、カフェインに強くなったりするような変化は起こらないと思います。

しかし、不安な気持ちでいる時間を少なくし、HSPの特性を活かした「深く物事を考える」「喜びを感じ取る」時間を増やしていくことは十分に可能だと思います。

 

前置きが長くなりましたが、ここから苦しみを解消する具体的な方法についての説明に移ります。

 

筆者は「反応せずに、理解すること」、これが悩みを解決する秘訣であると説きます。「心の状態を見る」という習慣をもつことで、日ごろのストレスや怒り、落ち込みや心配などのムダな反応を抑えることが可能になるというのです。

では、「心の状態を見る」ためには具体的にどういうことをすればよいのでしょう。

筆者は、心のムダな反応を鎮める絶大な効果を持っている方法として3つの方法を紹介していますが、私自身が実践し、効果を実感している2つを紹介したいと思います。

①言葉で確認する。

②感覚を意識する。

 これから、順々に見てまいりましょう。

 

 

①言葉で確認する

言葉で確認するとは、たとえば苦手な人の前で緊張してしまったときに、「わたしは緊張している」と心の中で言葉にして確認することです。

(近頃はみんなマスクをしているでしょうから、小さく口を動かして唱えるのもありかも知れません)

 

仏教の世界では言葉で確認することを「ラベリング(ラベル貼り)」と呼ぶそうです。

「動揺しているな」「イライラしているな」「気力が落ちているな」など、自分の心の状態について、あたかも値下げシールを張る17時のスーパーの店員のごとくに、次々とラベリングをしていくことが重要だというわけです。

私はもう何年も日記をつけています。自分の心の動きを言葉で確認することで、自己洞察力が高まり、自分の思いを客観視できるようになりました。

日記でしたら、SNSに公表するわけではありませんし、誰に見られる心配もないため、自分自身に向き合って正直な自分の気持ちを綴ることができます。

しかし、私が日記をつけるのは基本的に寝る前が多く、日常的にラベリングを行うことが出来ていたかといえば、そうではありませんでした。

 

「あぁ、私は動揺しているようだな。」

「あぁ、私は緊張しているようだな。」

このように、常にラベリングをする習慣を身に着けることで、自分の主観から切り離し、一歩引いた場所から心の状態を観察することができるというわけです。

 

さて、言葉で確認するときに重要なことは、判断をしないことです。なぜなら、判断とは主観そのものであり、<心の反応>に他ならないからです。

言い換えるならば、あるがままをあるがままとして受け入れること。そこに、良いも悪いも判断する必要はありません。

「私は動揺をしている」→「私はなんて心の弱いダメな人間なんだ」というのは、すなわち判断であり、<心の反応>です。

人間の心とはそのようなものだと理解し、あるがままをあるがままとして受け入れること、判断をしないことこそが重要なのだと筆者は説きます。

 

 

 ②感覚を意識する。

目を閉じて息を吸うをすると、空気が気道を通り、腹部が膨張するのがわかります。また、息を吐くと腹部がしぼんでいき、鼻を通って空気が出ていくのがわかります。

同じように目を閉じて腕を動かすと、腕の筋肉を動かしている感覚を実感することができます。

 

①の言葉で確認をすることと、②の感覚を意識することは、ブッダが生きていたころはサティ(sati)と呼ばれ、瞑想の世界では「マインドフルネス」と呼ばれているそうです。

(私はマインドフルネスという言葉の方がしっくりくるため、マインドフルネスという言葉を使用します)

 

私は心が反応しそうになったときに、マインドフルネスを実行します。具体的には、仕事中に心が動揺しているなと感じたときには、「私の心が動揺している」とラベリングをし、呼吸に意識を向け、深呼吸を繰り返し行います。

 

私が特におすすめするのは、散歩の際にマインドフルネスを実行することです。

HSP的な繊細な視点で世界を感じ取ることができれば、空の美しさや、鈴虫の鳴き声、珍しい花を愛でるだけで、自然から元気を受け取ることができるでしょう。

 

ヒーリングミュージックを聞きながら眠ったり、お風呂にゆったりと浸かりお湯のあたたかさを感じたりするなど、感覚に意識を向けることで癒しを得ることすらできます。

いまはまだ実践していないのですが、アロマオイルなどの嗅覚を意識するものや、観葉植物など視覚にうったえるものなども、今後取り入れていきたいなと考えています。

 

 

実践編:妄想から抜け出す。

「ラベリング」→「マインドフルネス」の実践として、私がもっとも効果を実感していることを紹介します。それは、妄想から抜け出すことです。

著者は「妄想」こそは人間が最も得意で、大好きで、ほぼ一日中絶え間なく繰り広げいている。ナンバーワンの煩悩であると説きます。

妄想とは一体何か、著者は次のように説明します。

 

『たとえば今、目を閉じてみます。目の前に見える暗がりに、何かを思い浮かべてください。今朝食べたものや、テレビで見た映像など、なんでも想像してみてください。

次に、目をぱっちりと開いて、前を見ます。部屋の中や外の景色を、よく見つめて下さい。そして、「ああ、これが見えているという状態(網膜が光を感知している状態、視覚)なのだ」と意識します。

このときさっきまで脳裏に浮かんでいた映像は、存在しませんね。「さっき見ていたものは、妄想である。」「今見ているのは、視覚(光)である」と、はっきり意識してください』

 

いかがでしょうか。何か心あたりがありませんでしょうか。

私は大いにありました。というより、私を苦しめていることの大部分はこの妄想ではなかったかと思うくらいでした。

たとえば、人になにか酷いことを言われたあとに、家に帰って思い出してイライラしてしまう。あるいは、過去にあった嫌な思い出が脳裏をよぎっては、逃げ出したい気持ちになってしまう。もしくは、明日が仕事だと考えては憂鬱な気持ちになる。

これらは全て、眼前に起こっている現在の出来事ではなく、私が脳内に作り出した妄想に他なりません。

(私はこの妄想に、あまりの忌まわしさから「怒りの亡霊」と名付けていました。昼間に1回言われただけのことが、家に帰って何度も考えてしまうことで、あたかも何度も言われているかように追体験してしまうのですから、まるで悪霊に浸かれたような感じがしたものです。)

 

また、日曜日のよるに仕事のことを考えて憂鬱になることを「サザエさんシンドローム」というらしいのですが、これも月曜日のことを妄想するがゆえの反応でありましょう。

 

過去を後悔する蜂はおらず、将来を思い悩む猫もいません。

それなのに、人間だけが過去に対する後悔とか、将来に対する不安に悩まされている。このことが私には不思議でなりませんでした。

 

しかし、ラベリング→マインドフルネスによって、この悪霊がほとんど顔を出さなくなりました。お祓いに成功したというわけです。

「あ、いま妄想した」とラベリングをし、身体の感覚に意識を向けるマインドフルネスを行うこと。

 

 この習慣を身に着けることによって、悪霊を退散させ、いま目の前にあるものに集中する習慣を身につける(というよりは、嫌なことを考える思考回路を衰廃させる)ことができたのだと思います。

 

心は同時に2つのことを考えることができない仕組みになっているため、体の感覚に意識を向けながら、別のことを思い悩むことはできません。

 

マインドフルネスは、心を平穏にし、感覚の喜びを与えてくれる、HSPと非常に相性のよい手法なのです。

 

 

~おわりに~

繰り返しになりますが、今回の「反応しない練習」については、HSP的な繊細さをもつ人にこそぜひ実践してほしいと思いました!

HSP的な気質の人は、<心の反応>の起点となる気づきが多い分、余計に心の反応が起こり、気疲れしてしまうと思います。

しかし、気づきは気づきとしてあるがままに受け入れ、余計な反応だけ起こらないようにすることができれば、よりよい人生を送ることができるのではないでしょうか。

 

 

ご清覧ありがとうございました。

 

 

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二ーバーの祈りのペンダント

Amazonで注文していた二ーバーの祈りのペンダントが届きました!

5月末に注文し、海外からの取り寄せとなるため7月中旬以降に到着予定だったのですが、予定より早く届いてハッピーな気持ちです(^^)

 

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『二ーバーの祈り』とは、アメリカの神学者ラインホルド・二ーバー(1892-1971)が作者とされる祈りで、「静穏の祈り」と呼ばれることもあるそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A

 

 

二ーバーの祈りの中には、私の大好きな次の一節があります。

【原文】

God, give us grace to accept with serenity

the things that cannot be changed,

Courage to change the things

which should be changed,

and the Wisdom to distinguish

the one from the other.

 

 

【意訳】

神よ、私に変えられるものを変える勇気を、

変えられないものを受け入れる静穏を、

変えられるものと変えられないものを識別する知恵をお与えください。

 

 

 ペンダントでは、スペースの制限か英文が少し簡略化されているようですが、英語に堪能でない私は細かいニュアンスまで汲み取る能力がないため、大まかな意味合いがわかれば一向に気になりません笑

 

 

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 変えられるものと変えられないものを区別し、変えられる部分に目を向けていこうというのは、アドラー心理学でいうところの「課題の分離」に近い考え方ですね。

 

 もう一つ、私が二ーバーの祈りから連想したものに、『ゲシュタルトの祈り』というものがあります。

ゲシュタルトの祈り』とはドイツの精神科医であるフレデリック・S・パールズが創作したもので、彼が創設した「ゲシュタルト療法」の中で好んで読み上げた詩だと言われています。

<ゲシュタルトの祈り>

わたしはわたしの事をする。

あなたはあなたの事をする。

私はあなたの期待に応えるために生まれてきたわけではないし、

あなたも私の期待に応えるために生まれてきたわけではない。

わたしはわたし。

あなたはあなた。

もし私たちの心が触れ合うならば、それは素敵なことだ。

もし触れ合わないとしても、それは仕方のないことだ。

 

 

 修道院を連想させるような清らかで静かな詩ですね。

私は人間関係が上手くいかなかったときなど、なんでもかんでも自分に原因を求めてしまう自責癖が強かったので、二ーバーの祈りやアドラー心理学ゲシュタルトの祈りなどの言葉によって、たくさんの気づきを得ることができました。

 

言葉というのは不思議なもので、ある言葉によって心がざわつきを覚えることもあれば、不思議なほど安心感が得られることもあります。

 

「みんなと仲良くしなきゃだめだよ。気に入ってもらえるようにもっとうんと努力しないと。」という言葉は心を重くさせるかも知れません。

一方で、「相手がどう思うかは相手次第。君は君自身が正しいと思うこと、今できることをぼちぼちやっていけばいいんじゃないかな」という言葉は心を軽やかにしてくれます。

 

 私は心のざわつきを感じたときは、よく二ーバーの祈りを唱えます。すると、いままで波立っていた心が、凪の日の海のようにすこしずつ静まっていくのを感じます。「静穏の祈り」と呼ばれる所以なのでしょう。

 

シャイな私はペンダントを着けているところを人に見られるのが少し気恥ずかしいので、シャツの下の見えないところでペンダントをさげながら、二ーバーの祈りを(文字通り)胸に、静穏な毎日を送りたいと思います。

 

ご清覧ありがとうございました。

 

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自己紹介(HSP気質について)

イントロダクション

HSP気質について触れるまえに、私の近況について書いてみたいと思います。

 

私は今年に入ってから精神科医:樺沢紫苑先生のYoutubeや書籍から影響を受け、心身の健康を意識して生活するようになりました。

具体的には「睡眠・運動・朝散歩」といった習慣を大切にした生活を行い、週2回のジョギング(各1時間半程度)、3行ポジティブ日記を継続してきました。

※3行ポジティブ日記とは、寝る直前のもっとも記憶に残る時間帯にその日あったポジティブなことを3つ考えるだけで、ポジティブなことを探す思考回路に脳が変化していくというものだそうです。

 

数か月その生活を続けているうちに、私は徐々にその効果を実感し始めました。憂鬱な時間は徐々に減っていき、物事に対してかなり前向きになりました。

樺沢先生は仕事以外にも何かしらのコミュニティに属することを勧めていらっしゃったので、先々週からボクササイズに通い始めました。

また、先生は「アウトプット大全」という本も出されていて、自己成長するにはアウトプットしかないとお話されています。ブログをはじめてみたのも、実は樺沢先生の教えによるところが大きいわけですが、これも物事に対する前向きな気持ちを持つことが出来ているからこそだと考えます。

 

ところが、上記のようなメンタルヘルス的取り組みを継続し、精神状態を良好に保つ努力をしているにも関わらず、私には世間の大多数の人たちの感覚とは何か根本的なところで大きな隔たりがあるような実感がありました。

 

私はその違いについてこれまで上手く人に説明することができませんでした。

しかし、いろいろ本を読んで考えてみたところ、HSP的な観点で自己分析を試みると、説明できそうな気がしてきました。

 

HSPについて

さて、それではHSPの説明に入っていきます。

HSP専門カウンセラーの武田友紀先生によると、HSP(Highly Sensitive Person)とは繊細な感受性を持った人のことで、アメリカの心理学者アーロン博士が発見・命名したものとのこと。

アーロン博士は、HSPには「DOES(ダズ)」という4つの特性があると言っています。

 

①Depth(深く処理する)
様々のことを瞬時に感じ、他の人が通常考えない深さまで考える。複雑なことや細かなことに目を向け、表面的なことよりも本質的なことを考える傾向にある。

 

②Overstimulation(過剰に刺激を受けやすい)
ひといちばい気がつき処理するため、人よりも早く疲労を感じやすい。大きな音や光、厚さや寒さ、痛みなどに敏感だったり、楽しいイベントでも刺激を受けすぎて疲れたり、興奮して目が冴えて眠れなかったりする。感じ過ぎた刺激を流すために、ひとりの時間や静かな時間が必要。


③Emotional & Empathy(感情反応が強く、共感性が高い)
共感力が強く、他者の意志や気持ちを察しやすい。HSPは非HPSよりもミラーニューロン(共感を生む働きをするといわれている神経細胞)の活動が活発だといわれている。事故や事件のニュース、暴力的な映画などが苦手な傾向にある。


④Subtlety(ささいな刺激を察知する)
小さな音、かすかな匂い、相手の声のトーンや視線、自分を笑ったこと、ちょっとした励ましなど、細かなことに気付く。気づく対象は様々で個人差がある。

 

なお、アーロン博士によると、HSPの根底には次の4つの面(DOES)が必ず存在し、4つのうちひとつでも当てはまらない場合には、おそらくHSPではないそうです。

 

HSPの診断については、ネット上にすでにたくさんアップされているようですので、ここに改めて掲載は致しません(このページに来られたかたは、おそらくHSPの概念はよくご存じでしょうから)。もしここまで読まれてHSPに興味を持たれた方は、一度お調べになってみるのも面白いかも知れませんね。

 

HSPと私

それでは、ここから私をHSP的な観点から自己分析していきたいと思います。

というのも、自己紹介に当たって私のことをよく知ってもらいたい、というより、できれば同じような感覚の人たち(たとえそれが少数であったとしても)に私を見つけてほしいと願うからです。

普段の私は以下に記すような私の生活習慣や感覚を、他人には話しません。理解してくれる人が少ないことは重々承知しているからです。

胸を張って言えることではありませんが、私にとって多くの人間は、理解してくれる心強い味方、愉快な仲間たちというよりは、上手に対応しなければならない相手、できれば距離を取りたい存在、決して心の通い合うことのない他者でしかありません。

私は普段ほとんど本音を口にしませんが、それは多くの人が生きていくうちに礼儀として身に着ける作法であると同時に、自分が異質であり少数派であることの自覚から生まれる謙譲でもあるのです。

 

しかし、ここは私だけのブログ。はてなブログは言っています。<ここは「どんな話題でも、好きなことを好きなだけ書ける場所」です。>と笑

 

繰り返しになりますが、 以下に記すことは、私が実生活ではほとんど口にしないことばかりです。私が今からする自己紹介は、私がこれまで人前で話してきた自己紹介とは大きく内容が異なります。

 

※言うまでもないことかも知れませんが、HSP気質のある人が、全て私のような習慣や感性を持っているわけではありません。私のHSP気質は、たまたま以下のような形で発現してしまったのだという風に理解してもらえればよいかと思います。

 

①Depth(深く処理する)について

私はこれまでに本を2000冊以上読んできました。

(2000冊以上というのは、途中から数えるのが面倒くさくなったのと、本の読み方が変わったため、数えること自体が困難になってしまったことがあります。もっと若いころは前書きから後書きまで通読していましたが、ある程度いろんな知識がついてからは、目次を読んで興味のあるところだけを読むという方法に変わりました。反対に、斎藤磯雄先生の本のような紛うことなき芸術作品については繰り返し読むなど、もはや冊数で数えることが適切ではなくなってしまったのです)

ある著者の本が気に入ると、その著者の本や参考文献を芋づる式に購入します。本以外でも、好きなアーティストのアルバムは曲は全て聞き、Youtubeなどでもその人の動画はほとんど全て見てしまいます。そういう風にしないと、作者のことを知っていると言えないのではないかと感じてしまうのです。

また、私はもう何年も日記をつけているのですが、「その日あった出来事や刺激を受けたこと。それにどう感じ、どう考え、どう対応し、今後どう行動していきたいか」など、ほとんど毎日A4用紙半分~1枚以上書いてきました。

これは、何か目的があってやってきたというよりは、必要に迫られて続けてきたことだと考えています。私にとっては1つ1つの情報を整理し、時間をかけて考えを深めていくことが自然なことであり、またそれをしなければ頭の中で感情や情報が氾濫し、混乱してしまうのです。

おそらく多くの人たちにはこういう風に深く物事を処理したいという感覚自体がないのだと思います。

私には、他の多くの人たちはもっと表面的なこと、例えば「あの人とあの人は学生のころ同級生だった」とか、「あの芸能人が不倫をした」とか、もっとわかりやすい話題を好んでいるように映ってしまうのです。

本を2000冊以上読んできた、毎日日記を書いているというのは、人によっては不気味に思う人もいるかも知れません。しかし、私にとっては大切で必要な習慣なのです。

 

②Overstimulation(過剰に刺激を受けやすい)について

私は特に雑音に対して敏感なのだと思います。たとえば、私は家にテレビを置くことができません。他の人にとって娯楽であるテレビが、私にとっては耐えがたいノイズでしかないのです。

テレビは情報の塊です(しかも、大切な情報はほとんど得られない)。

ニュースはもちろんそれだけで情報なのですが、出演者の表情や声にも情報は含まれていて、感情まで伝わってきます。派手の効果音やテロップなども不快に感じてしまうのです。

スターバックスなどのカフェでも、隣にお喋りな人たちが座ったら、何も言わずにすっと別の席に移動します。ノイズが私を疲れさせてしまうからです。

当然、イベント会場などの人ごみは苦手ですし、プライベートな時間の多くを私は1人で過ごしています。1人で過ごす時間がなければ、私は自分を維持することができないでしょう。

 

③Emotional & Empathy(感情反応が強く、共感性が高い)について

20くらいの頃に「saw」という映画(シリーズ何番目かは覚えてません)を友人に誘われて一緒に見たことがありましたが、私は途中でリタイアしてしまいました。人体破壊系の映像には、特に弱いような気がします。

もともと暴力的なものを避けて生活している(テレビも見ないし、映画もそういうジャンルのものは選ばない)ため、あまりこの部分については具体的なエピソードがありません。

 

④Subtlety(ささいな刺激を察知する)について

私の場合は、人の感情の動きがなんとなくわかってしまうような気がするのです。(気がするというのは、「今、イラっとしましたよね?」とか、「今の発言、もしかして社交辞令ですか?」などと確認したことがないからです!)

相手の声のトーンや視線、表情の動きに敏感で、「この人はイライラしてるな」とか「今の発言は本心ではないな」とか「この人、まだ話したりないんだろうな」等がなんとなくわかってしまうのです。また、反対に「私を励ますために声をかけてくれたんだろうな」とか「本心から期待してくれているのかな」ということも感じます。

身体的なところでは、珈琲や煙草の副流煙により、心臓が高鳴って夜眠れなくなったりします。食事を摂ると高い確率でお腹が痛くなることから、過敏性腸症候群について本を何冊も読んで調べたことがありました。そのくせ、空腹になりすぎると気分が悪くなり、他の事が考えられなくなることがあります。(改めて文章にしてみると、なんとわがままな身体なのでしょう!)

 

ポジティブを意識した生活

私は子どものころから他者との間に非常に距離を感じていました。また、実際に「もっと心を開いた方がいいよ」と言われることが多く、他者からみても私に距離を感じているのだろうと容易に想像できました。

今振り返ってみると、「自分には何か欠陥があるのではないか」と自分を責める時間があまりにも長かったように思います。

 

しかし、大人になってからの私はよりよく生きるために試行錯誤を重ねてきました。

勇気のいる決断ではありましたが、私にとってネガティブな影響を与える人間関係を整理したり、意識して1人の時間を多く取るようにしてきました。

「物より思い出」などと言いますが、物が視界に入ることで様々な思いを巡らしてしまうことに気付いてからは、部屋をきれいに整理整頓し、自分の好きな物や必要な家具の割合を増やし、空間を大切にしてきました。

太陽の光を浴び、運動を習慣に取り入れ、自然の中で過ごす時間を増やしました。

その結果、私は少しずつ元気を取り戻し、心の平穏を感じる時間が増えてきたのです。

 

私は今、自分にHSP的な気質があることに気付き、それを受け入れる準備ができています。繊細な感受性があることや深く処理をする能力、共感性が高いなどの特徴は、決してネガティブな性質ではないと考えます。

 

 

2014年頃に「嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え」という本が大ヒットしました。私は流行の本などは読む気になれず、つい最近になってようやく読んたのですが、とても衝撃を受けました。深く理解したいと考え、夢中になって3回繰り返し読みました。

 

アドラー心理学には、「目的論」「課題の分離」「共同体感覚」など様々な特徴があるのですが、その教えの1つに、「使用の心理学」というものがあります。

 

アドラーの心理学は、それぞれの理論が密接に関連し合い深く結びついているため、その1つだけを切り取ってここで論じることは難しいのですが、わかりやすいように具体例を挙げてみたいと思います。

 

例えば、「貧しかったから人を殺すしかなかった」という人がいますが、これは本当でしょうか。

たとえ貧しくとも大勢の人は犯罪をしませんし、頑張って偉業を成し遂げる人だっています。そして、そう考えると、彼が人を殺めたのは別のところに原因がありそうです。

アドラーは、「貧しかったから人を殺した」というような、一見すると正しい理屈のように見えるものの、実態としてはさまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする状態のことを「人生の嘘」と呼んでいます。

アドラーの心理学は、一方では「言い訳をするな」という非常に強いメッセージのように映るかも知れませんが、もう一方では「与えられなかったことを嘆くのではなく、与えられたものを前向きに使用しよう」という、きわめて明るい未来を提案しているのです。

 

であるならば、HPS気質の私ができることは1つ。

それは、自分のHPS的な資質を嘆くのではなく、その特性を最大限に生かし、毎日の幸せを感じとることではないでしょうか。

 

 

このブログで目指す方向性

このブログでは、HSPの4つの特性「DOES(ダズ)」に着目し、HSP気質のある私自身が①深く考えたこと。②強く影響を受けたこと③共感したことや⓸日常で感じた些細な変化など、私自身が幸せに感じ、読んでいる人がポジティブな気持ちになれるようなことを発信していきたいと考えています。

 

このブログが少しでも私に近い人に届きますように。

ご清覧ありがとうございました。

 

 

嫌われる勇気

嫌われる勇気